我々はなぜ「相撲」のアプリを作っているのか?

会社員A@クリーニングスです。

我々はここ数年主に「相撲」をテーマにした作品を制作していますが、そもそも「なぜ相撲なのか?」を改めて説明させていただきたいと思います。

まずリアルの相撲についてどう思っているのかというところなんですが、これに対してはまったく興味がなくて、実際に見に行ったこともなければ、TVで取り組みの放映を見ることもないです。今の横綱や大関が誰なのかも知りません。いつどこで巡業の場所が開催されるとかそれが年に何回開催されるとかも知りません。つまり繰り返しになりますが我々は相撲というものにまったく興味がありません。しかし一方で心から相撲というものを愛しているのも揺るぎない事実です。

相撲は素晴らしい。あれほどまでに神聖かつ厳格でありながら、長い歴史の中で色あせることなく大衆に愛され続けている伝統文化が他に存在するでしょうか?たぶんそこそこ存在すると思いますが、それでも相撲が唯一無二の文化であり、優れた技術を必要とする格闘技であることに何ら変わりはありません。

なぜあのように露出度の高い衣装で戦わなければならないのか?なぜあのように豊満な肉体である必要があるのか?なぜちょんまげを結う必要があるのか?その他もろもろの特異な文化や謎の慣習、意味がよくわからない用語や決まり手、閉鎖的かつ秘密結社じみた相撲協会の雰囲気など、我々一般市民にとって好奇心の刺激される要素が相撲には事欠かないことに異論を挟む余地はないはずです。

そして恐らくそれらのほとんどは合理的な説明がつくものではなく、ただそうであるから、相撲であるからという理由だけで存在しているものなのでしょう。私はそれらの歴史的経緯や背景などについてちゃんと調べたことはありませんし、これから先も調べるつもりは一切ありません。相撲がただ相撲であること、それだけで相撲を愛する理由には十分すぎるほどです。

このように相撲がいかに素晴らしいか、我々がいかに相撲を愛しているか、どれだけの言葉を尽くしてもすべてを表現できる気はしないのですが、これらの内容は今適当に考えたばかりのまったくのデタラメであることも事実です。しかし人間というものは心にも無いことをここまで執拗に書くことはできませんので、幾分かの真実は含まれていることでしょう。たとえこれらの内容が真っ赤な偽りであったとしても、それは相撲の相撲としての価値を何ら損なうものではなく、相撲が相撲であることは未来永劫変わることのない真実だと我々は信じています。

つまり相撲というものは、ただ相撲であること自体が存在理由であり、価値があるということです。これからの未来において表層的な形が変わることがあってもその本質が失われることはなく、それでありながら人々の暮らしに寄り添う存在であり続けることでしょう。これに似た不偏的なものを我々人類はよく知っていて、人は時にそれを神や宇宙と呼びます。したがって宇宙は相撲であり、相撲は宇宙そのものであるわけですが、そうなると宇宙に存在する我々もまた相撲の一部であると考えるのが自然です。

ここまで説明すれば、なぜ我々が相撲をテーマとしたアプリを制作し続けるかをご理解いただけるはずですが、それはこの宇宙の本質、そして人間の存在の本質に迫るためです。もちろんそのような話もやはり適当なでっち上げに過ぎず、ここまで書き綴ってきた文章にも社会的な価値は微塵も存在しないわけで大変申し訳ないのですが、要はそういう感じのことを考えながら相撲のアプリを作ってます。次回作もがんばりますのでよろしくお願いします。